Cats Eyes of her engine covers
U-2's Page

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U-2の任務は高高度偵察である。70000ftもの高空における偵察活動では、パイロットには地上の様子は高過ぎて殆ど捉えられない為、人の視覚に入るものは情報として意味をなさない。重要なのは、機体に装備された様々な電子機器と光学センサーが捉えたデータなのである。彼らが集めたデータは、リアルタイムで地上部隊や指揮所にダウンリンクされ、またU-2から衛星を経由してビール空軍基地のデータ分析センターに送られる。そこで解析された情報が、再び地上軍の指揮所に送信されて活用される。これらの一連の作業に4-5分あれば充分だと言う、正に羽根を持った偵察衛星である。
 パイロットにとっては、孤独との戦いでもある、彼らは自由な飛行は認められていない。事前に決められた飛行コースをミッション通り飛行するのだ。U-2で捉えられない地上の情報は極めて少ないとまで言われる、その為、.あらゆるデータを効率よく確実に収集する為、飛行コースは定められる。一旦飛び立てば1人で黙々と任務を遂行していく ”孤独な黒猫”になる訳だ。また長いブリーフィングが終り任務に付く前は彼らは、耳、鼻、喉それぞれの血圧の測定をはじめ、身体の隅々まで細かく検査を受け、フライトに支障が無いかのチェックが行われる。彼らにとってこれらの検査は面倒に感じられるようだが、任務の性格上、また遥か高空での任務の為、パイロットの生理的な理由で事故を発生させないよう厳密なものにされているようだ。 
1999年の厚木OHに展示されたU-2S。1998年は.”.厚木WING”が中止、1997年はU-2の展示が無かった為、久々のお出ましであった。曇り空の中ランディングしたU-2Sは、ロ-パスも無い”一発降り”・・しかし 尾翼のテール・レター”BB-085”は白のシャドウが付けられており 隊長機かと撮影した者を喜ばせた。U-2Sは、デジタルオートパイロット装置 新しい電子機器を新たに積んだが 一番大きな改良点は、非常に燃費効率も良い”F-118-GE-101”という改良されたエンジンを搭載し 後続距離を大きく伸ばしペイロードも大幅に増やしている事だろう。1994年1月にS型の1号機が空軍に引き渡され R型はその後全てS型に改良された。
Dragon Lady U-2Rは、横田基地にも展示された。雨上がりのまだ濡れたエプロンに置かれたU-2Rのエンジンのインテークカバーには、黒猫の目がかかれてありユニークである。U-2Rの両翼には、着陸後に地上員からつけてもらう補助輪があるが、展示の際、この安定感に乏しい補助輪では心許なかったのか、更に支柱で支えている。この機体は、翌日観衆の目の前で離陸していった為、多くの人がU-2Rの特異のT/Oを見ることが出来た。
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”ドラゴンレディ”のドラゴンは、1940年代イギリスの情報局が ドイツ第3帝国のロケット技術を入手する際に用いたプロジェクト名の一つであったようだ。他国の情報を盗み出すことから 後に米空軍が 偵察機U−2開発のプロジェクト名として使うようになる。
古い話になるが、1960年台湾で編成されたアメリカ空軍第5偵察中隊H分遣隊は、”Black Cats”と呼ばれるようになった。これには2つの説があるらしく、1つは彼らがよく通った飲み屋かバーの店の名前と言う説、もう一つがU-2の任務が夜フライトを開始することから、夜這いする黒猫に例えられたと言う説である。黒猫の目は偵察用のカメラを象徴していると言われる。さて、どちらの説が真相だろうか。何れにせよこのページの冒頭に掲げた”Black Cats”の徽章は、台湾空軍の陳中尉によって考案されたもので、陳中尉自身もU-2のパイロットだった。その彼も1962年9月に、中国大陸の偵察に出かけ撃墜されて戻らぬ人となった。
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